海原やすよ・ともこの母は元マジシャン、親子三代漫才師の名門一家!

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海原やすよ・ともこの母は元マジシャン、親子三代漫才師の名門一家!

海原やすよ・ともこのお二人は姉妹コンビで、数々のレギュラー番組を持ち絶大な人気の漫才師です。
また、姉のともこさんはM-1グランプリ2023の審査員に選ばれ注目されています。
お二人の経歴や家族について注目してみましょう。

関西で絶大な人気の海原やすよ・ともこ

関西で漫才コンビ 海原やすよ・ともこ、通称やすともの二人を知らない人はたぶんいないでしょう。
また、人気は絶大で、それを証拠に大阪市の広報担当として、2022年、2023年の2年連続で大阪市プレミアム付き商品券のPRを行っています。

海原やすよ ともこ

引用元:X 海原やすよ ともこニュース

海原やすよ (左)ともこ(右)

芸名 姉 海原 ともこ 妹 海原 やすよ
本名 前田 智子 宮本 康世
生年月日 1971年12月27日 1975年10月14日
配偶者 元男闘呼組 前田 耕陽 元オリックス・バファローズ 宮本 大輔

 

ともこの夫は元アイドル、男闘呼組の前田耕陽

ご存知の方も多いでしょう、姉のともこさんのご主人は、元アイドルで男闘呼組のメンバーであった前田耕陽さんです。
前田耕陽さんは現在55歳、男闘呼組ではキーボードを担当、グループは1993年に解散しましたが、2023年7月-8月の期間限定で復活ライブを行いたいへん話題になりました。

グループ解散後は、前田耕陽BANDなどバンド活動やタレント活動はもちろん、大手プロダクションのアカデミー講師や前田さん自身のYou Tubeチャンネルを持ち男闘呼組のセルフカバーを発表するなど多方面で活動されています。

二人の出会いは大阪の番組で共演

漫才師のともこさんと元アイドルの前田耕陽さん、二人の出会いが気になりますね、結婚のキッカケは何でしょう。

2006年に二人は、お互いレギュラー番組であった大阪の読売テレビ「なるとも!」という番組で出会い交際が始まります。
そして、2006年8月に結婚、お二人とも再婚どうしで授かり再婚で、漫才師と元ジャニーズアイドルの結婚で当時、話題になりました。

ともこさんは2007年4月に長女をご出産、2013年5月には長男が生まれて2人のお子さんに恵まれています。

やすよの夫は元オリックスバファローズ投手の宮本大輔

妹のやすよさんのご主人は、元オリックス・バファローズの投手として活躍した宮本大輔さんです。
2005年12月に、当時現役選手であった宮本選手とご結婚されました。

現役を引退後は、やすよさんの父のちゃんこ屋で修行経験をして、現在は大阪心斎橋で「創作料理ミヤモト」を開店しています。

 

やすよ・ともこは祖母と父も漫才師でお笑い名門一家

海原やすよ・ともこさんは実姉妹の漫才コンビであることは有名ですが、お二人の祖母もかつて漫才師であった海原お浜・小浜の小浜さんです。

海原お浜・小浜は、叔母(お浜)と姪(小浜)とのコンビで、芸風は緻密なしゃべくり漫才で、昭和の上方お笑い女性漫才コンビの代表的な存在でした。
1967年に上方漫才大賞 大賞を受賞、そして1975年には上方お笑い大賞 大賞も受賞する実力派の漫才コンビでした。
その後、小浜さんは2005年度の第10回上方演芸の殿堂入を果たし輝かしい功績を残しています。

また、海原一門として弟子には、漫才コンビ 海原千里・万里、海原はるか・かなた、海原しおり・さおりなどがおり、実力派の漫才コンビを育て上げました。
皆さんご存知の通り、海原千里・万里の万里は上沼恵美子さんです。

1976年には海原お浜・小浜はコンビ解消しましたが、小浜さんはその後もTVやラジオ番組などでタレントとして活躍、2015年12月24日に92歳で逝去されました。

海原お浜・小浜

引用元:スポニチSponichi Annex

海原お浜(右)・小浜(左)

父も漫才師 海原かけるとして池乃めだかとコンビを組んでいた

海原やすよ・ともこさんのお父様も、漫才コンビ海原かける・めぐるのかけるとして活躍。
相方の海原めぐる(2代目)は、現在吉本新喜劇で活躍中の池乃めだかさんであり、2人は会社員時代の同僚でした。
海原かける・めぐるは、1975年に上方漫才大賞 新人賞を受賞、人気漫才コンビでしたが1977年に解散し、お父様のかけるさんは漫才師を引退。
その後は、板前の修行などを経て現在は、大阪市内で「ちゃんこ鍋dining うなばら」を経営しています。

海原かける・めぐる

引用元:サンスポ

海原かける(右)めぐる(左)めぐるは後に池乃めだかに改名

母は女性奇術師のワンダーのり子

海原やすよ・ともこさんのお母様も、かつて女性奇術師 ワンダーのり子として、舞台に立っていました。
当時、ワンダーのり子さんは容姿端麗の美人で熱烈なファンもいて人気の女性奇術師だったそうです。
しかし、海原かけるさんとの結婚を機に引退されました。

海原やすよ・ともこの師匠は中田ボタン

海原やすよ・ともこは、幼いころから漫才を二人でしていましたが、小学生の時に地元の芸能事務所で週一回漫才の稽古を受けるようになります。

そして、二人は1992年に中田カウス・ボタンのボタン師匠へ弟子入りをします。
これは、当時妹のやすよさんが中田カウス・ボタンのファンであったのが理由で、元漫才師であった父親と親交があった中田ボタン氏に弟子入りし、正式に海原やすよ・ともこを結成することとなりました。

コンビ名の屋号「海原」を名乗ったのはボタン師匠の計らい

中田ボタン師匠に弟子入りした、やすよさんとともこさんでしたがコンビ名は「中田やすよ・ともこ」と本来名乗るところでしたが、ボタン師匠から名門である女流漫才師〝海原〟を名乗ることをススメられ、また祖母であった海原小浜さんもそれを快諾したことから「海原やすよ・ともこ」が誕生しました。
この際に、二代目 海原お浜・小浜の襲名を提案されましたが二人がそれを断ったという話しもあるようです。

海原やすよ ともこほか

引用元:デイリースポーツ

上段(左)海原やすよ 上段(右)海原やすこ
下段(左)中田ボタン 下段(右)海原小浜

 

海原やすよ・ともこはお笑いコンテストで数々受賞

1992年に中田ボタン師匠へ弟子入り、正式にコンビを組んで活動を始めます。
そして、1994年に「第15回 今宮戎神社 こどもえびす 漫才新人コンクールで香川登枝緒賞を受賞、これを初めとし翌年1995年には、ABCお笑い新人グランプリ 最優秀新人賞など同年に開催されたコンテストの新人賞などいくつも受賞し注目を集めました。

その後も、漫才師としての評価は高く数々の賞を受賞していて、上方漫才大賞においては、第47回と第52回の2度にわたり上方漫才大賞 大賞を受賞し、一流の女流漫才師として不動の地位を得ます。

ビートたけし氏も海原やすよ・ともこの漫才を絶賛しており、2015年2月に放送したフジTVの「Cygames THE MANZAI 2015 プレミアマスターズ」の中でも二人を高く評価して「たけし賞」を授与しています。

同期の仲間にはお笑いの実力者も多数

海原やすよ・ともこの同期の芸人には、中川家、陣内智則、ケンドーコバヤシ、ハリウッドザコシショウなど、現在も舞台はもちろんTV番組の一線で活躍している実力派の人たちがたくさんいます。
そんな中、二人は2020年3月からなんばグランド花月でトリを務める看板に就任しました。

まとめ

海原やすよ・ともこは親子三代漫才師で師匠は中田ボタン!
海原やすよさん、ともこさんの経歴や家族に注目してみました。

お二人の祖母は、昭和の女流漫才師の海原小浜さん、お父様も元漫才師 海原かけるさん、またお母様も女性奇術師 ワンダーのり子として舞台で活躍していたお笑い界の名門一家でした。

幼少期から漫才師になるべくして、その道を進んでいるお二人ですが、漫才師としての実力は証明されていて、これからも舞台やTVで活躍されるでしょう。

海原やすよ・ともこのますますの活躍に注目して応援していきたいですね。

 

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